2018年1月17日水曜日

「セカイ、WORLD, 世界」

2016年、忘年会「晦日い」に新井英樹さんがやって来てくれた。
僕は再開発のことでグチャグチャだったので、呑みまくりの荒れまくりだった、(まるで記憶に無いが流血もしていた)
心配してくれた新井さんは元旦にはメールをくれ「岡さん!本出しましょう!」と、動き出してくれた。

それから一年、
新井英樹さんの短編集「セカイ、WORLD,  世界」が発売された。
表紙は、四年前の大雪の日の蟻鱒鳶ル、新井さんの気持ちがうれしすぎる。
でも、その姿は今現在の蟻鱒鳶ルとほとんど変わらない。
四年間ほとんど作業は進んでいない苦しい現実、
蟻鱒鳶ルは着工十二年を経たわけだが、八年以降の四年間はなかなか進まない。
石山修武さんの予言通り胃に穴が開きかけた。
でも、この四年間で、たくさんの素晴らしい事が起きた。
それは、蟻鱒鳶ルを作り切る為に必要な思考のキッカケを与え続けてくれている。
この苦しい時間が僕を大きく成長させてくれている、夢のようだ。

数ヶ月前に新井さんから連絡があり「マンガ以降の三年間を簡潔に文章にまとめて下さい」と。

その文章。
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2015年「せかい!!」が出た頃には再開発側との話し合いも進んできて「潰させてくれ」から「曳家をして残す」という計画にハッキリと軸足を移してきた頃だったと思います。
その後、順調にコトは進んでると思っていたのですが、2016年11月、再開発側との決定的なズレがある事が判り、僕は話し合いの場で怒り、声を荒げ、席を立ちました。
その夜「だまされていたのか!このままじゃお金が尽きて、潰されてしまう!!」恐怖と不安で眠れず考え続けました、朝方やっと「蟻鱒鳶ルを売る事で資金難を突破しよう」と腹を決め眠りに落ちました。
何年かけてでも世界中にアピールし、蟻鱒鳶ルを二百年残すという事に価値を見出してくれる希なパトロンを探す!
そう決めたものの、交流を深めてきたつもりだった人たちにまるで思い通じていなかった絶望感、今後更に無理難題を押し付けられるんじゃないかという不安とで眠れない日が続き、胃薬の量が増えていきました。
それでも話し合いは続けたし、曳家の為に必要なコンクリートを削る作業も続けました。
削り作業はとても辛く、激しい振動で身体の芯が痛めつけられ、腰が痛くグッスリ眠ることも出来ず、自分が作った物を自分で壊している精神的なダメージでまともに歩けなくなっていました。
友人たちには「急に老け過ぎだぞ」と心配されていました。

その頃、蟻鱒鳶ルはローマとロンドンで展示されていて招待状が届きました。
両展覧会共に 蟻鱒鳶ルの展示面積はとても広く、「せかい!!」はローマでは全ページ、ロンドンでは巨大に拡大されドドーンと壁面を埋めていて、多くの人が熱心に見てくれていました。世界に通じる!その事をハッキリと知りとても勇気を得ました。
夏、その展覧会は東京にきました。オープニングセレモニーが終わったあと、数十人の建築家たちと呑みに行ったんだけど、再開発の事を聞かれはじめ、僕はひどく落ち込み酔いつぶれ最後はアホみたいに踊っていたらしい。
後日その事を美術館の人に「楽しい会を台無しにしちゃいました、スミマセン」と謝ると
「いえ、あの場にいた皆さん岡さんの今置かれている辛い立場はわかってらっしゃいます、皆さん『岡ガンバレ!』という顔で見てましたよ」と言ってくれ、うれしかった。
そのあと、改めて蟻鱒鳶ルの展示を観ると、コーナーのはじめにこう書いてありました。
「……ちょっと立ち止まって「家とは何か?」を真摯に考えれば回答の一つに「本来自分で建てるもの」が出てくるということです。そしてもしそれを今の日本社会において実践したらそれは必然的に家をとりまく既存のシステム、つまり市場主義(産業)や法体系や行政に対する抵抗の形をとるということでもあります。その行為は巨大なシステムに対するちっぽけな個人の闘いとなります……」
、、、、書いてある、、
賢い人たちはフツーに知ってたのか、、、、
オレってバカだな〜、おかしくって、肩の荷がスッと消え明るい気持ちになりました。
キチンと考えがまとまって蟻鱒鳶ルを作りはじめた訳じゃないんです。
不安で混乱する脳ミソと格闘しながらここまでやってきました。
作りはじめて12年、ようやく「何の為に作っているのか」言葉が編めてきた感じです。

子供の頃、ブリューゲルの「バベルの塔」に魅入った、絵から溢れ出し突き抜けようとする(建築をつくる悦び)にワクワクしたんです。でも、神はその悦びを理解せず、神への挑戦とみなし言葉をバラバラにしバベルの塔の建設を潰してしまう。
神と代わった現代の「巨大なシステム」は、ここ数十年で世界中を溢れるほどの(モノ)で埋め尽くし「モノをつくる悦び」を奪ってしまった。
人々は、何もつくる必要の無い消費者様に成り下がりスマホだけをさわってる。

それじゃダメだ!「モノをつくる悦び」が猿を人間にした!

ワクワクドキドキとモノをつくり、悦びエンジンを回すんだ!

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2018年1月5日金曜日

2018あけましておめでとうござい鱒!!

2018年、蟻鱒鳶ルにとって、とても重要な年になると思います。
正月のドタバタが過ぎ、やっとゆっくり出来る感じになったので今年の事を考え出したら、ほとんど眠れず寝つけたのは朝でした。
大きいのは
1,アメリカの大学に(いろいろやって)とよばれている、、
2,岡本太郎賞落選にもめげず、次の公募を狙い出した、、
もー、妄想もりもり、脳ミソギンギンです、。

あと、重要な本も二つ出ます。

もうすぐ、1/12に新井英樹さんの「セカイ、WORLD, 世界」発売!
*「せかい!!岡啓輔の200年」とその後のことが載っています。

春 になったら
ここ数年ずっと取り組んでいた本「バベる!」も出ます。
ホントありがたい事です。

年末に「蟻鱒鳶ル小」をインターネットのBASEで売るのもはじめました。
ipadで撮った写真があまりパッとしないけど、
どれもなかなかの存在感です、どうぞよろしくお願いします。

再開発のことはキツイです。
先は見えません、
でも、こんな感じで、明るいコト混ぜ込みながら進んでいきます。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げ鱒!!


2017年10月16日月曜日

ウエブマガジン「アパートメント」

ちょっと前から知り合いの素敵な女性はしもとさゆりさんに、近所のサイゼリヤでワイン飲みながらインタビューされたモノです。

僕の酔っ払いトーク、繋がらないとことか多いけど小さいことは気にしない感じでバーンとまとめちゃうのとか、気前良いな〜と、。


さて、今回は一段ととっておきのやつお届けします。今年のはじめに東京と大阪でお直しの展示をしたとき、ゲスト参加してくださった建築家、岡啓輔さんのインタビュー。東京のガウディ、ひとりでビルを建てる男(1)、岡さんは、東京三田でおそらく将来自宅となる「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」をセルフビルドで建てながら、日が暮れると作業を終えて、自分の履いているズボンのお直しに勤んでいる。

岡さんと言えば、このビルのセルフビルドがあまりに有名だけど、自宅に帰ったあと、雨の日に、チクチクとガシガシとズボンを縫っている様もぜひ多くの人に知ってほしい。ビルとズボン、それぞれに通じる岡さんの美学や思想、捨てないぞの気持ち、ものを作る楽しさ、これまで自分では言葉にできていなかった多くを代弁してもらったように感じました僭越ながら。そして必読である。では、はりきってどうぞ!

一生ズボン(話し手:岡啓輔)
このズボン、冬はいつも履いている。友人に呼ばれたときとかの正装用のこれと、飛行機とか社会的な正装用のズボン、作業ズボン3枚を交互に履いている。今日も夕方まで履いていた。基本的には破れそうになったところを縫っている。当て布もしている。裾のところは、縫っているうちに布が上がってタケが短くなったところを、2回伸ばした。数えたことはないけど、たぶん2,000時間ぐらいかけてるかな。

最初は裁縫のことが全然わかっていなくて、木綿の糸で縫ってたけどそれはほとんど消えちゃった。化繊糸にしてから、擦れてなくなるということはなくなった。縫い物のことは何も知らないから、小学校の家庭科の知識で縫う。たぶん"返し縫い"ってやつかな。わからないけど、針っていう道具を使って、糸と布の摩擦で抑えるイメージだけはある。裏の玉止めもあまりできていない。止めるときは、糸が短くなってて「あっ」ってなることも多い。縫う技術もないし、糸や針の選択もだいたいわかってなくて間違ってる。時々、太い針で力を込めて毎日やってると指から血がでてくることもある。今は一番太い針はやめて、そこそこ太い針で指ぬきを使ってグイグイ押してる。

サラリーマンをやめた21歳のころ、「もう一生服は買わなくていいな」と思った。その頃はバブルだったし、みんな服をたくさん捨てているイメージがあったので、もう買わなくていいなと。それまでは、いわゆる"クラスで一番のオシャレさん"だったと思う。地元にいい洋服屋さんもあって、色んなことを教えてもらった。それがサラリーマンをやめたあと、もうこのあとは一生貧乏かなと。それで服にお金をかけるとおかしくなりそうで、買わないと決めるのも面白いかなと思って決めた。

友人から、買ったけど似合わなかったジャケットとか、アジアとかで買ったTシャツとか、上に着る服はもらえて生きていたけど、ズボンは中々もらえなかった。ズボンはもらえないからどうしようかなと思いながら、モンペをはいていた。母ちゃんが久留米絣の地区に住んでいて、モンペを縫うバイトをしていたから。母ちゃんは化繊の安いモンペをたしか1着8円ぐらいで縫う内職をしていた。はじめて金額を聞いたときはえ~って驚いたけど、母ちゃんたちは1時間に百数枚のもんぺを工業用のミシンでばーばー作って意外に儲かってた。だから家にモンペはたくさんあった。モンペ、それかナイキのナイロンパンツ、シャカパン。このズボンは、嫁のお兄ちゃんがサーフショップを経営してて、売れない商品をもらった。それが17、8年前、1999年ごろ。

7、8年履いたあと、このズボンは一回捨ててた。でも服は買わないというのを続けていたので、履くものがない。嫁からはもうモンペはやめてくれと言われていた。蟻鱒鳶ルを建てはじめてた頃だったし、服装ぐらいは普通にしてくれと。遂に俺もユニクロで買うかと考えたこともあったけど、ユニクロで買うぐらいだったらズボン縫うか~と思ってはじめたのが最初。きっかけのひとつに、テレビで田中忠三郎を見たこともあった。運命的っていうほどでもないけど、田中忠三郎のBORO(2)を見て「よしよし俺もやろう、これでズボンがないぞ問題も解決するぞ」と思った。

縫うほど好きになる
縫い方はわからなかったけど、まあ大丈夫かなと思って縫いはじめた。はじめの頃は破れて縫ったことがまるわかりの、だささMAXな状態。かっこ悪いを通りこして、気持ち悪いの時期もあった。友人に「そのズボン怖いから近寄らないで」と言われたこともある。人間がやった感、人間の意識が入りまくってる感じ。今のように自然にできた感じはなかった。

直線があるのは、裏の当て布。大きめの当て布を当てている。ポケットは今、穴が空いたままだけど、このあいだ清澄白河でもらったお相撲さんの着物の布当てた。時々丸く縫ってみたり、ここは直線で縫ってみたり。今でもどっか必ず破れだす。このズボンと、あとカバンも破れるので縫っている。夏は半ズボンも。あれもなかなかいけている。基本的には自分は色弱なので色はわかってない。赤と緑の違いはなかなかわからない。

ちょっとよかったのは、このズボン元は好きでもなんでもなくて、もらったから履いてた。縫うとすきになるのは、もちろん。最近このズボン専用のベルトも買ってきた。単なる革のベルトだけど、この間ローマのパンテオンに行ったときに買ったもの。パンテオンは、建築がすごくよくて、今俺の建築ライフの中でナンバーワン。パンテオンの裏で何百年もやってる革細工のお店があって、じいさんがやってる。そこでベルトを買った。

夜、暮らし方のひとつとしてズボンを縫う
毎年12月30日に「ビルとズボン」という展示をやってる。今年は4本ぐらいズボンをぶら下げて、ビルの進捗写真と一緒にかけている。蟻鱒鳶ルを作っていて、あんな仕事してたら、聖人にならなくちゃいけない感じがある。聖人になるぐらいに精神を高めないと成し遂げられない感じ。アントニオ・ガウディっていう人は、それまではイケイケゴーゴーな人だったのが、サクラダファミリアを依頼された時に、世俗にまみれた俺じゃだめだと、断食してから依頼を引き受けたという話がある。おれも同じ穴ぼこに落ちている感じがある。おれはそんな風じゃないけど、建築を作っている作業を終えて家に帰ったあとの暮らし方のひとつとしてズボンを縫う。


ただただ酒を飲んだりテレビを見るのはつまらない、かといって体も脳みそも疲れ切っているとき。ガウディみたいにまじめにはなれないけど、やっぱりこうやって(ズボンを縫いながら)「ああ、あそこは今日失敗だったな」「明日はとりあえず掃除してみよう。掃除して、昼には決断して、はじめよう」とか、そういう考えごとをするのには丁度いい。部屋はワンルームのマンションなので、嫁がテレビをつけていたり、ラジオをつけたり、音楽をかけたりもしている。山下陽光くん(3)とかも昔から友達で、「途中でやめる」とかいいなと思ってた。陽光くんが服作りをスタートした頃のを持ってるが、糸がぴろんぴろんに出てる。やる気ないな~としか感じたことがなかったけど、それを陽光くんは「途中でやめる」というブランドにしはじめて、「あ、途中でやめてるんだ」と思った。ああいうものを見て、下手でもいいなと思った。(世の中の)流れとして、それはそうだと思う。

資本主義のシステムのラストは、平気で捨てる人たちを育てないとダメ
俺が10代の頃は、今みたいなグローバルな世界じゃないので、アイルランドの人たちが糸を紡いで、こうしてこうして、スーツができる、みたいな。羊はあそこのがよくて、糸はここがいい、それでいいスーツができる、そういう憧れみたいなのがあった。きちんとした、まがいものじゃない服がたくさんあった。今は田町でこう、毎朝サラリーマンの服とか見てると、ぱっと見、俺が憧れたころと同じデザインの服を着てるんだけど、内実はどうかというと、すかすかなんだよね。アイルランドの寒い人たちが作った服を、アジアの人が真似るようにミシンにコントロールされるように縫ってる服。俺が信じていた、本物感があるものは消えてしまって、ほぼありはしない。それを真似たような本物っぽい、値段は1/10ぐらいになったもの。それをみんなは手に入れられるようにはなったけど「それそんなにほしいの?いらないでしょ」と思う。昨日丁度、嫁についてブランドのセールに行った。アトリエセールで8割引きのシャツを袋パンパンに買っていく。あんなのもどうかと思う。結構高い服で丁寧に作られてると思うけど、ようはバンバン捨ててる。1年ぐらいで飽きて。俺はなんだかわからないけど「捨てないぞ」という思いが強くて、捨てないぞと思ってこういうことをやっている。

だから断捨離にもムカついてる。捨てましょうというのを世界中で流行らそうとしているように感じる。資本主義のシステムのラストは、さんざん作りまくって、平気で捨てる人たちを育てないとダメ。高級ブランドだろうがなんでもバンバン捨てる。「さよならありがとう、あなたのおかげで私は素敵な恋愛ができました。さよなら私の洋服」とかそういうの。捨てましょう文化とか、片付けましょう文化とかに対して、ふざけるな、チクショウ、つまんないよと思ってる。

ロボットにやらせないで、自分でやりたいこと、つまり楽しいこと
今まで何千年か続いてきた人類の目標は、人が腹をすかして死なない国を作ろうというもの。それをここ数十年で完成した国がいっぱいある。食べ物が足りなくて死ぬ人がいなくなった世界、じゃ、今の時代になにが重要か、次の目標として何を見出すか、そこに今自分達はいると思っている。俺はこれだと思うというのを提示するし、そういうことをたくさんの人がやるべきときだと思う。

俺が考えてるのは「作ることの喜び」作ることの喜びを見出したことで、サルから人間になった過去がある。じゃあ何を作ればいいかというところで、ほとんどの人はやっぱり芸術家にはなれない。いきなり白いキャンバスに絵を描きだす必然性、いきなり硬い石を削ったり、自分の内側にそういうものは、みんなは持ち合わせていない。じゃあ普通の人が何を作るのかというときに、まずは衣食住をやることが重要だと思う。洋服が破れた、だから縫って見る。毎日三食作ってみる。土地が余ったらか野菜を作って見る。建築だって、玄関まわりが空いたから何か作ってみる。それはとても面白いことだと思っていて、スタートは芸術家とは違うけど、作りはじめさえすれば、その面白さは芸術家と同等だと思っている。服をつくるでも、野菜をつくるでも、面白い。野菜つくるにしても、「ああ、ここで雑草取らなきゃいけなかったんだ」「ああ、こうやって雨が降りだしたときは」と学ぶことが多くて、様々なことが起きて面白い。大切なことが起きる。入り口はなんにせよ、作ることに入っていくと、さまざまなことを思ったりする。

今からどんどんどんどん、基本的には人間が働かなくていい時代がやってくる。ロボットがどんどん増えて、機械化される。あんまりやりたくない仕事はロボットがやるようになるけど、ロボットにやらせないで、自分でやりたいこと、つまり楽しいこと。ミシンで縫ったら3秒だけど、俺が縫ったら15分。でも縫うこと自体いいぞと、作ること自体の面白さを見出していくことがいい。作ること自体の楽しさ、それを忘れてしまうとだめで、ものをつくる「面白い!」「理屈わかった!これでもっともっとつくれる!」とか、そういうことが大事ではないかと思う。

– 19th Feb. 2017, 東京・田町にて / 岡 啓輔
(聞き手・編集:はしもとさゆり)


2017年9月15日金曜日

TARO賞 応募した。

岡本太郎は、岡仲間だし、、
いつか「岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)」に出そうと思ってた。
躯体が完成した時かなぁ、とボンヤリしてたんだけど、
遅過ぎる、今だ!と思った。
相談した人も全員、今出すべきと言った。

ただ、、芸術は苦手だしなぁ、、と

でも、先日蟻鱒鳶ルを見に来てくれた、
世界的な芸術家杉本博司さんが、
「これは、アートですよ、あなたは、これはアートだと言い切らなきゃいけない」
と言ってくれたので、
アートから逃げ回るのやめて考えはじめようと。
今日、9/15、TARO賞締切り日、出して来ました。
たった一枚の(制作意図)書くのに、ものすごい時間がかかったけど、
ヤッパリ、たまにこういう事ちゃんとやらなきゃダメだな、。
日ごろペチャペチャ喋ってることも、
改めて文章にしてみると、
ここ、飛躍し過ぎだな、、とか
おい!言ってる事ひっくり返ってるじゃないか!とか発見しまくり。
勉強に なり鱒。

  【TARO賞・制作意図・360文字】
                                                                 
「モノつくる悦び」が猿を人間にした。
少々ヘッポコでも苦労しながら
ワクワクドキドキモノをつくるのは最高の悦びだ!
創造主気分!
なのに最近資本主義やり過ぎちゃって世界中モノだらけ
「無いからつくる」というそもそもの前提が消えた。
みな消費者様に成り下がり「つくる悦び」忘れスマホでボーッ。
イキイキしてないぞ人間、このままじゃ又猿。
新しい「つくる」を発明しなきゃいけない。
何つくる?芸術じゃ無理だ。
あれは個人の内的な強い必然が無きゃエンジンすらかかんない。
無理してやっても猿真似止まり、
つくるのはヤッパリ暮らしの基本「衣・食・住」だ。
安易な消費者やめて面倒だなぁって思ってても「わざわざ 」はじめる。
針と糸持つ。包丁持つ。鍬持つ。鋸持つ。
作り始めさえすれば、悦びエンジンがグイングイ回り出す!
これは「新しい民藝運動」。
蟻鱒鳶ル前衛受け持ち鱒!

         以上

この夏、高山建築学校に山下陽光くん来てくれて「 新しい骨董」を学んだからね、
今朝、思いついた「新しい民藝運動」つうの早速入れてみました。