2011年6月8日水曜日

0608雨降ったり止んだり

ひとりで作業していると、原発の事など考えてしまいます。
でも何が正しいデーターか情報かハッキリしないので「考えること」が上手く出来ません。
311以前、「原子力の発電コストが圧倒的に安い。だから多少のリスクはあってもやる」と聞かされていた。
でも最近は、「それは意図的な情報操作でしかない。原発の発電コストは安くないし、最終処理の方法も決定出来てないのに計算できるはずもない。」ということを沢山聞いた。

じゃあ、なぜ?と思う。
なぜ、政治家や経済界の人が「原発」を守ろうとするのか?
「プルトニウムが欲しいんだ。核兵器を持って、国際社会での発言力を高めたいのだ。」
「そもそも日本に積極的な意思はなく、アメリカに押し付けられているだけ。」
いろんな意見を聞く。

311直後あまりに酷かったマスメディアの情報統制もだいぶ緩んできている。小出さんがテレビに出たり。
これも、パッシングを恐れずに素早く自分の意見を表明し行動に出た素人の乱の陽光くんたちや、財界にいながら反原発に舵を切った孫正義さんたちのおかげだと思う。
でも依然として、議論を封じ込めようとする流れも強い。
先週だったか「リニアモーターカー建設着工を決定」が明るい事として報じられていた。
「鉄の塊を電気の力で浮かし数百キロで走らせる」このシステムを可能にするには原発が2個か3個必要らしい。
「原発止めるの?夢のリニアモーターカー無くなるよ」
という政府のメッセージだ。狡い。

ドイツが脱原発を決定した事を受けて、南アフリカの政治家が「経済力のあるドイツは自然エネルギーへの転換も可能であろう、でも多くの貧しい国は今後さらに原発に頼らなければいけない」と発言していた。
このニュースを聞いた夜、僕はなかなか眠れなかった。「絶望的に危険だという事実が露わになっても、世界は原発依存から脱せないのか、、こうやって世界は滅びていくのか、、」
数十年後、「東京に原発を作らずに地方に作る」という構図が、「日本には原発は作らず自然エネルギーで美しく暮らし、近隣の貧しい国に原発や核廃棄物の最終処理場を押し付ける」みたいな構図になっているだけだとしたら、今のこの反原発の流れもまるで意味がない。


考える為に「正しいデーターや情報」が欲しい。
でも、たったそれだけの事がとても難しい事なのだと最近つくづく思う。
きついけど世の中の本質は「混沌」だ。
混沌の中で、進むべき方向を見出し行動していく事はとても辛く困難だ。でも、やんなきゃいけない。
絶望に耐えること。
ニヒリズムに逃げないこと。
明るい事、希望のある方向を信じること。

雨、止んだかな?めし食って働こ。

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