2012年6月10日日曜日

高山建築学校3

倉田先生が亡くなられて12年。様々な人の「高山やめるべし」の声の中、少々無理矢理な技を駆使しながらどうにか続けてきた。
でも、これでやっと胸を張って進めれる。そういう事を思えた倉田家訪問だった。

最近友人に「岡さんは高山で学生に課題を出したりしながら自分のやるべき事を模索し、掴み、それを現実として、東京で蟻鱒鳶ルを作ってるわけだよね」というような事を言ってもらえた。
まるっきりそうだ。
高山で僕が感じてきた小さな種を、高山で発芽させ、これはいける!という思いで蟻鱒鳶ルに着手した。
高山建築学校は、僕にとって建築の苗床として機能してくれた。
ありがたいありがたい学校。
でも、もう僕にはこの苗床機能は必要無い。
次の人に渡そうと思う。

高山建築学校をもっともっと良い学校にしたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿