2014年4月21日月曜日

mixiに非公開設定で長いこと書いてて、酷い文章なんだけど、そろそろ公開しようかと雨の日思案中。

「セルフビルドで踊れ!」


「建築を理解するぞ」と鼻息の荒かった20チョイの僕は新しい(と言われる)建築が出る度に、キタキタキターと浮かれていたのだけど、実のトコロは何もわかっていなかった。何も整理出来ずに、ただ混乱し、ジキに疲れてしまった。
30過ぎても何もわからず転向も出来ず、僕は倉田先生にすがりつく。「先生お願いです。建築を教えて下さい』何度も何度も泣き顔で懇願するんだけど先生は最期まで「知らねーよ。まあ酒を呑め」と笑顔で言うだけだった
結婚し、三田に小さな土地を買った。はじめは平凡でもいいから、サッと設計を終え工事を始めるつもりだった。でもそれが出来ない。これはこうだと言い切り実行に移る事が出来ないのだ。少し信じていると思っていた論や美意識も他人のモノでしかなく結局は(わたし用)じゃない。腹から信じる事が出来ないのだ。それでも土地を買った以上どうにかして「作る方法」を獲得しなきゃいけない。
その時よぎったのが、即興で踊る時のように建築を即興で作るという方法。僕にとってそれはとても素直な筋なんだけど、具体的な事を想像するとモノ凄く怖い。無鉄砲過ぎる。そんな巨大な彫刻をつくるような作業きっと破綻してしまう。
怖いのだけど、他にはとうとう何も見当たらず、だんだん『この方法でやるべきだ」と使命感のようなモノを感じ始めた。
実現させるには「より具体的に考えた事を抽象的に整理し、巨大な不安を格闘可能なサイズにする事」。
そして「なぜワタシはこうするのか」に答える事。ここをアヤフヤにしたままでは、この仕事を到底やり遂げれない。「ワタシの必然」が必要だ。知的なゲームじゃだめなんだ。
なかなか意識出来なかったけど、深いトコロに静かにそれはあった。
「毎日、転がるように遊んだ。竹薮の秘密基地。泥と石のバベルの塔。ふたりだけの隠し犬小屋建設。お宮の楠のてっぺんから世界を偵察。藁のトンネルを疾走し、床下の別世界に身を潜める。街を自在に抜ける自分道を整備する。夏は川遊び、水に包まれ、転がされ、遠くへ運ばれていった、、、、、」
田舎の小さな温泉街で、僕らは大人達に見守られ、自由なイメージを遊びの中で次々に実現化する事が出来た。
モノを作った事、大好きな空間の事が、ワクワクした気持ちや、身体的な快感として、今でもクッキリと僕自身に刻まれている。
この(悦び)ならば、僕はきっと信じぬける
とても素朴で普通の事に行き着いたようだ
良い。世に問う価値も十分にあると思う。
この事を芯に据えて、僕は僕の建築をつくる

倉田先生は自身のノートの最後にこう記しておられた
「今こそ(創る悦び)をもう一度建築に取り戻さなければならない」



(2000春)妻千秋と土地探し始める。1年間で、競売の入札4回。
(夏)高山建築学校校主倉田康男死去。
(9月)三田の土地購入1550万円。レッツゴー岡土建2発行。
(10月)石山修武氏のWSに参加。「踊るように即興的に建築を作る」というアイデアを褒めてもらう。
(2002年3月)@君の勧めで、岡画郎HP上に建築日記の連載を始める。
(4月)京大吉田寮で行われた「つるのおんがえし」(マイアミ主催)で建築についての考えを発表する。レッツゴー岡土建3発行。
この頃、柳田さんと構造デザイナー探しを始める。A氏に決め、建築ジャーナリスト磯達夫氏に紹介してもらう段取りをしてもらう。
この頃、コンクリートを少しづつ打設するというアイデアが出る。
(6月)A氏と会う「面白い!」と言ってくれる。
この頃、レッツゴー岡土建4発行。
(7月)フィンランドでアアルトの建築をみる。
(9月)「こういう建築を作らせて欲しい」妻説得旅行を二回
この頃、妻と高知の沢田マンションを見に行く。
(10月)芸大陳列館で三上清仁氏が(僕が三田に建築を作る事)を主題にした作品を発表。
(11月)再び沢田マンションへ(柳田さんと)「これはええ、夢がある、人はこげなもんば作らないかん」と嘉納さんに言ってもらう。(次の春、嘉納サン永眠)
この頃、妻が三田に引っ越し(敷地の二軒隣りのアパート)
(2003年1月)マイアミが名前をつけてくれる「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」
(3月)建築に集中する為8年間続いた岡画郎を閉郎。
(4月)三田に引っ越し、妻と同居を始める
(6月)A氏とようやく二度目の打ち合わせ。噛み合ない。A氏に伝える為に、プロジェクトを整理し直す事にする。それをSDレビューにも応募(協力、柳田、ナナ、溝口)。小さくしてレッツゴー岡土建5とする
(9月)SDレビュー入選、代官山で展示。
(10月)SDレビュー展示の為、大阪へ。
(12月)SDレビュー2003出版「藤森照信賞」受賞
(2004年3月)A氏からは、とうとう何の連絡もない。諦める。
磯サンに相談にゆく「名和研二サンがいいよ」
(4月)名和さんに会う。快く仕事を引き受けてくれる
(11月)レッツゴー岡土建スペシャル劇上版(4時間)(ゲスト/ナナ、TASKE、小川てつオ)
(2005年2月)確認申請提出。
(3月)敷地ボーリング調査
(4月)確認申請通る。
コンクリートのプロT氏の協力を得る
(8月)水道、下水道敷地に引き込む
(11月)地鎮祭、着工式。
(2006年2月)杭打ち。

「蟻鱒鳶ル」作りの事を、アレコレ書いたり、書いてもらったりするコミュニティです。

僕は文章がヘタなので(勢いだけで書いた文章は、ヘタを越して酷かったりするし)(非公開、管理者の承認が必要)設定にしています。

でも、ここに興味をもっていただけたんだったら、申請して下さい。
そして、更に興味をもっていただいたら、是非、現場を見に来て下さい。

どうぞ、よろしくお願いします。

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